|
「よねのみや」について
|
|
御祭神
木花開耶姫命
福寿宮(境内社)
大国主大神
事代主大神
天満宮(境内社)
菅原道真公 |
大日本国開闢由来記(国立国会図書館蔵)に描かれた木花開耶姫命 |
|
|
御由緒
古記録によれば、人皇40代(西暦674年)天武天皇の御宇白鳳4年勅使が御降臨とあることから、当神社の創建はそれ以前であり、相当の古社で荘厳であったと推察されます。
別の古文書には「富士山の御事は・(中略)・神代雲霧に囲まれ諸人これを拝することを得ず富士と唱へざるのみ 以に米穀山と申し奉り人皇第6代孝安天皇の御宇 庚申に当りて御出現まし日の本の人是を拝す同国の南面加島の郷に鎮座し給ふは別て御穂たかく 米之宮仙間木花開耶姫命にてまします・・云々(原文)」とあり、さらに当社御祭神が万民に米食の福田を与え恵み給ふ神であり、それ故に当社を「米之宮」と称し崇め奉ったと記されています。
江戸時代寛政2年寺社奉行へ差し出された絵図数、書き上げの写しにも米之宮1万3.515坪とあるところから当時は広く荘厳な神社であったことは明らかです。
現在は、境内地3.594坪の中に木造銅葦本殿、鉄筋コンクリート瓦葺拝殿53坪、木造瓦葺福寿宮、木造瓦葺社務所153坪、鉄筋コンクリートステンレス舞殿8坪、米之宮会館200坪等の建物が造営されております。
|
|
|